教職単位削減は教員不足の解決になるのか?時代の節目に翻弄される世代の本音

気持ち

教職課程の単位数削減は、教員不足への対策として打ち出された。しかしその本質は、「原因」ではなく「結果」への対処に過ぎない。単位数の多さが教員志望者減少の主因ではなく、長時間労働や精神的負担、待遇の問題といった構造的課題が放置されている限り、状況は大きく改善しないだろう。制度変更のたびに割を食うのは、旧制度のもとで努力してきた人たちである。だからこそ、制度の内側に依存せず、制度が変わっても揺るがない価値を持つことが、これからの教育者には求められている。

また「切り替わり直前」の世代として

はるか昔、あと1年遅ければ「ゆとり世代」と呼ばれていた。高校入試は相対評価から絶対評価へと切り替わり、内申点が取りやすくなったが、その恩恵は受けられなかった。一浪すれば、今度はリーマンショック直撃。就職環境は一気に冷え込み、「自己責任」という言葉だけが空気のように漂っていた。

そして今、ようやく教職単位を揃えたと思った矢先、今後は教職課程の単位数が削減されるというニュースが出てきた。振り返ると、いつも制度の「切り替わり直前」に立たされてきた人生だったと感じる。

教職単位削減の狙いと違和感

文部科学省は、教員不足の解消を目的として、教員免許取得に必要な大学の単位数を削減する方針を示している。教員志望者を増やし、教職課程の履修負担を軽減する狙いは理解できる。

しかし、現場を見ている立場からすると、教員志望者が減っている理由は「単位数が多いから」ではない。長時間労働、精神的負担の大きさ、保護者・学校・行政の板挟み、責任に見合わない待遇といった問題が放置されたまま、入り口だけを広げても根本的な解決にはならない。

制度変更で割を食う人たち

制度変更のたびに、必ず置き去りにされる層がいる。変更前の制度で努力してきた人、フル単位を履修してきた人、働きながら時間をやりくりして単位を揃えた人、年齢的・家庭的制約を抱えながら取得した人たちだ。

今回の教職単位削減も、こうした人たちにとっては複雑な思いを伴う。「あと少し待てば楽だったのに」と感じてしまうのは、決して不自然な感情ではない。

制度が変わっても残る価値とは

それでも、制度に振り回され続ける必要はない。資格や肩書きに依存せず、「この人に教わりたい」と思われる力、現場で信頼される対応力、特性のある子どもへの理解、考えを言語化して説明できる力を磨いていけばいい。

常勤教員だけが教育の正解ではない。非常勤講師、家庭教師、フリースクール、個人事業主としての教育支援など、教育に関わる形は一つではない。制度は変わるが、価値は残る。教職単位が何単位であれ、選ばれる理由は、いつも別のところにある。

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