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教育の現場に立つ者として感じている違和感
ここ10〜20年で、日本の教育を取り巻く環境は大きく変化しました。学習内容の前倒し、ICT化の加速、家庭環境や学力の二極化。こうした変化の中で、「わかりやすい理念」や「強いメッセージ」を掲げる教育サービスが増えています。
一見すると理想的で、社会課題に真正面から向き合っているように見える。しかし、実際に現場で指導にあたる立場から見ると、どうしても拭えない違和感があります。
この記事では、特定の企業や団体を攻撃することを目的とせず、教育現場の視点から見た構造的な問題を整理し、本当に子どもたちの力になる教育とは何かを考えていきます。
なぜ「極端な教育思想」は支持され、儲かるのか
不安につけ込む「わかりやすい物語」
教育は正解が見えにくい分野です。保護者は常に、
- このままで大丈夫なのか
- 取り残されてしまわないか
- 将来に不利にならないか
という不安を抱えています。
そこに、
- 「学校教育はもう限界」
- 「従来の学力観は時代遅れ」
- 「この方法だけが正解」
といった極端で断定的な語りが現れると、人は安心してしまいます。複雑な現実よりも、単純な答えのほうが理解しやすいからです。
理念は立派、しかし中身は現場任せという実態
再現性のない教育モデル
多くの教育ビジネスで見られるのが、
- 理念・ブランディングは本部主導
- 実際の指導は講師個人に依存
という構造です。
教材やカリキュラムが整備されているように見えても、実際には
- 生徒理解
- つまずきの分析
- 情緒面のケア
といった最も重要な部分は、現場の講師の経験と力量に委ねられているケースが少なくありません。
これは決して講師の努力不足ではなく、構造的に無理のある設計です。
一番置き去りにされやすい「中間層」
教育の世界では、
- 上位層:成果が出やすく、広告価値が高い
- 下位層:支援や福祉の文脈で語られやすい
一方で、中間層の子どもたちは最も人数が多いにもかかわらず、支援が手薄になりがちです。
- 少しのつまずきが放置され
- 自信を失い
- 気づけば下位層に落ち込んでしまう
この層を丁寧に支えることは、派手さも即効性もありません。しかし、教育として最も重要な役割だと私は考えています。
本当に必要なのは「魔法の方法」ではない
教育に万能な方法は存在しません。必要なのは、
- 一人ひとりの理解度や特性を丁寧に見ること
- 小さな成功体験を積み重ねること
- 学ぶことへの前向きな感情を育てること
これは時間も手間もかかりますし、ビジネス的には効率が悪いかもしれません。しかし、長期的に見れば、これこそが子どもたちの力を伸ばす唯一の方法です。
極端な思想に寄らない教育は「弱い」のか
断言します。いいえ、弱くありません。
極端な言葉を使わないのは、
- 現実を知っているから
- 子どもを安易に希望で煽らないから
- 教育の責任の重さを理解しているから
です。
派手な言葉は一時的に人を集めますが、信頼は積み重ねでしか生まれません。
教育を「消費」ではなく「積み重ね」に
教育は、短期的な成果やキャッチコピーで評価されるものではありません。
- わかった
- できた
- 自信がついた
そうした小さな変化の積み重ねが、子どもたちの将来を支えます。
現場で子どもと向き合う立場として、私はこれからも、極端な思想に流されず、一人ひとりの可能性を丁寧に育てる教育を続けていきたいと思います。
同じような違和感を抱いている方の、考えるきっかけになれば幸いです。
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