私は高校時代、偏差値65ほどの学校に通い、大学も偏差値60前後の、世間一般では「高学歴」と呼ばれる環境に身を置いていました。しかし、今振り返って強く感じるのは、「学校の勉強ができること」と「人生を切り拓く知性」は、必ずしもイコールではないということです。
偏差値教育の中にいたからこそ見えてきた、そのメリットと、陥りやすい罠についてお話しします。
偏差値教育で得られた「一生モノ」の武器
もちろん、受験勉強を通じて得られた価値のある経験もたくさんあります。私が今の仕事や生活でも役立っていると感じるのは、主に次の3点です。
- 「頭が良い」というレッテル: 良い意味でも悪い意味でも、周囲からの信頼や期待が自信に繋がったこと。
- 忍耐力: 目標に向かって地道に努力を続ける力が養われたこと。
- 計画性: 膨大な試験範囲を、限られた時間で処理するためのマネジメント能力。
勉強が得意な方にとって、こうした能力を磨ける偏差値型の学校選びは、決して悪い選択ではありません。
「点数」の先に待っている罠
しかし、ここには大きな落とし穴があります。目の前の点数や結果に満足するあまり、「この先に必ず明るい将来が待っている」と盲目的に信じてしまいがちなのです。かつての私も、その一人でした。
学力に浮かれ、将来への模索を怠ってしまうと、社会に出た際に「学力だけでは通用しない壁」にぶつかり、立ち止まってしまうことになります。学校の勉強が得意な人こそ、若いうちから「学力以外の価値観」に触れ、自分の未来を広く模索する必要があるのです。
「頭の良さ」は学校の勉強だけでは測れない
私が一番お伝えしたいのは、「学校の勉強ができる」=「頭の一部の使い方が非常に上手い」という解釈です。脳には他にも多様な使い道があり、それらはペーパーテストだけでは決して測れません。
もしあなたが今、学校の勉強に苦しんでいたとしても、決して自分を「頭が悪い」と思わないでください。それは単に「特定の脳の使い方」が今のシステムに合っていないだけかもしれません。その固定観念を捨てることで、あなたの中に眠っている活発で新しい発想が解き放たれるはずです。
日本の「学歴」 偏差値では見えない大学の姿 [ 橘木俊詔 ]
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